西宮神社御社用日記
にしのみやじんじゃごしゃようにっき
概要
西宮神社御社用日記
にしのみやじんじゃごしゃようにっき
兵庫県
江戸~明治/1694~1875
日記はすべて袋綴じの竪冊で、紙縒が綴じ紐に用いられるのが基本である。表紙には「御社用日誌」「御社用日録」「御社用記録」「御神用日記」などの表題が年・干支とともに墨書されており、簿冊小口の地、天ないしは背に年代等を示す墨書を有するものも多い。また後補の表紙や綴紐を有するものも多数ある。
簿冊の形態は、①簿冊の料紙に筆録されその状態が保たれているものが基本であるが、②簿冊に筆録された後に余分の白紙を切断し除こうとしたもの(15・95・128)、③簿冊に筆録され小口に墨書が施された後に余分な白紙を除いたもの(4)の他、④一紙状態の料紙または複数の簿冊に筆録された後に一冊にまとめて綴じられたもの(1・2・139・187)、がある。①では奥に多数の白紙が残る場合があり(16・120・168・201など)、③では小口の墨書下部に文字の欠けがみられることになる。
日記の中には、付属資料として人名等の書付や文書等が関係する箇所に挟み込まれている場合がある。形態は切紙、切継紙、竪紙など様々で総数は134点におよぶ。
竪冊215点 袋一括1点(袋1点、横帳5点、折紙1点、切継紙1点)
付属資料(切紙79点、切継紙21点、竪紙20点、折紙13点、竪冊1点)
216点
兵庫県西宮市社家町1番17号
兵庫県指定
指定年月日:20170314
宗教法人 西宮神社
有形文化財(美術工芸品)
西宮神社が所蔵する「西宮神社御社用日記」は、西宮神社・廣田神社の歴代神主らが記録した神社の公用日記で、現在も書き継がれている。今日、西宮神社といえば、西宮市社家町に所在する西宮神社を指すが、江戸時代以前においては、北方約2㎞の地にある廣田神社(西宮市大社町)と一体で、歴代の神主らは、西宮・廣田の両社、さらに現在は西宮神社境内にある南宮(現在は廣田神社境外末社の南宮神社)を合わせた三社の祭礼神事を執り行ってきた。このような西宮神社・廣田神社の一体的な運営体制は、明治8年(1875)4月に解消され、江戸期の古文書・古記録類の多くは西宮神社の側に伝えられることになった。
今回、指定の対象とした「西宮神社御社用日記」は、現存する最古の元禄7年(1694)の「年中御社用日記」(1)から、一体的な運営が解消に向かう明治5年(1872)~明治8年(1875)の「社用日誌」(216)まで、全215点の日記(以下、日記)、および一袋に一括して収められた帳簿類(54)からなっている。