横瀬郷の霊魂塚
よこせごうのれいこんづか
概要
横瀬郷の霊魂塚
よこせごうのれいこんづか
長崎県
江戸時代/1852年
角石塔型
平尾墓地 霊魂塚
竿石 高さ86cm、幅36cm、厚さ36cm
上石 高さ32cm、幅57cm、厚さ57cm
下石 高さ25cm、幅100cm、厚さ100cm
花川墓地 霊魂塚
竿石 高さ80cm、幅36cm、厚さ36cm
上石 高さ32cm、幅59cm、厚さ59cm
下石 高さ25cm、幅96cm、厚さ96cm
2基
平尾墓地 霊魂塚
長崎県西海市西海町横瀬郷2972番地1
花川墓地 霊魂塚
長崎県西海市西海町横瀬郷2878番地
西海市指定
指定年月日:20190523
有形文化財(美術工芸品)
疱瘡(天然痘)は、致死率が高く、人類を悩ましてきた感染症である。江戸時代においても、たびたび疱瘡が流行し、多くの死者を出した。1796年にイギリス人医師ジェンナーが牛痘接種による予防法を発見し、嘉永元年(1848)に来日したオランダ人医師モーニッケは出島で牛痘接種を始めた。大村藩医長与俊達は大村藩領にこれを広め、嘉永三年(1850)に制度化された。西海市西海町横瀬郷の平尾墓地と花川墓地にある霊魂塚には、江戸時代の嘉永年間に牛痘接種の普及で、横瀬浦村の疱瘡(天然痘)感染者の隔離場所となっていた山が閉鎖され、それまでに感染して亡くなった人々を合葬したことや製作年の「嘉永五年壬子十一月」を示す銘文があり、大村藩で牛痘接種が普及した歴史と一致する。