伊藤博文四字書
いとうひろぶみよじしょ
概要
吉田松陰の実兄杉民治(梅太郎)のために別邸の滄浪閣で書した茶掛け幅。落款に「春畝」(しゅんぽ)とあるのは伊藤の号。「桜花茶室」とあり、茶を愛した杉によく適した内容となっている。伊藤は明治22年(1889)小田原緑町(神奈川県小田原市)に、明治憲法を起草した夏島(横須賀市)の別邸を移して父十蔵の居邸とする。翌23年には小田原十字町に自分の別邸を設けて「滄浪閣」と名付け、自ら「滄浪閣主人」とも号した。同29年、梅子夫人の療養を考慮し、滄浪閣を大磯(神奈川県大磯町)へ移している。