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坂本龍馬関係書状 慶応三年八月五日 長岡謙吉あて

サカモトリョウマカンケイショジョウ ケイオウサンネンハチガツイツカ ナガオカケンキチアテ

概要

坂本龍馬関係書状 慶応三年八月五日 長岡謙吉あて

サカモトリョウマカンケイショジョウ ケイオウサンネンハチガツイツカ ナガオカケンキチアテ

歴史資料/書跡・典籍/古文書

1通

重要文化財

海援隊士長岡謙吉宛に土佐須崎港に着いた事、長崎経由で上京する事を知らせる手紙。 (追記) 土佐の須崎港から出した手紙。慶応三年八月、京都で順調に進むはずだった大政奉還策に横やりが入った。長崎で七月に起きた英国人水夫殺害事件(イカルス号事件)の容疑者問題である。海援隊士に殺人の嫌疑がかかり、英国側から土佐藩に強い抗議があったため、龍馬は心ならずも船で土佐の須崎港に行き土佐と英国の交渉を見守ることになったのだ。この事態を土佐藩側は大政奉還策を阻止しようとする幕府の陰謀だとの見方をもっていた。この手紙は上方にいる海援隊士の長岡健吉へあてたもの。須崎に来た現況を伝え、長崎に回ったのちにすぐにでも上京する旨を伝えている。ほぼ同様の手紙を寺田屋登勢にも書いている(52-5)。龍馬が再び京都に現れるのは二ヵ月後の十月上旬、大政奉還直前のことになる。署名の「楳より」とは当時の変名才谷梅太郎から。(2016年 坂本龍馬展図録 宮川)

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