坂本龍馬関係書状 文久三年三月二十日 坂本乙女あて サカモトリョウマカンケイショジョウ ブンキュウサンネンサンガツハツカ サカモトオモテアテ

歴史資料 

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重要文化財

土佐脱藩後1年を経て郷里の姉乙女宛に初めて出した手紙。勝海舟の弟子となり海軍創設に尽力する充実したよろこびが文面にあふれている。卑近なたとえをふんだんに使っており、当時としては型破りの文章である。坂本龍馬の手紙を代表するもののひとつ。 (追記) 脱藩後はじめて郷里へ書いた手紙。文久二年(一八六二)三月、龍馬は土佐を出奔(脱藩)し十月頃には旗本勝麟太郎(勝海舟)の思想に共鳴し「弟子」となった。勝のもとで海軍創設に従事することになったのである。「うんのわるいものは風呂に入ろうとして金玉をつめ割りて死ぬものもいるが」などと卑近な例えで自分の運の強さを表現している。読んだ家族も笑ったことだろう。勝麟太郎のことを「日本第一の人物」と表現し、「かねてから思うところ(海軍修行)に精を出している」と記している。また「私は四十歳になるまでは家には帰らんようにするつもりだ」ともあるが、単なる帰省ではなく、坂本家の後継者問題に関わる表現だ。この手紙はひたすら前向きな表現に満ちている。家族や周囲に大きな迷惑をかけた脱藩のことを龍馬が手紙で反省するのはずっと先のこと(慶応二年一月二十日、池内蔵太家族宛書簡)である。文久三年三月は将軍徳川家茂の上洛があり、江戸から浪士組も京都へやってきた。幕末史の舞台が江戸から京都へ移行した時期といえる。(2016年 坂本龍馬展図録 宮川)

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