坂本龍馬関係書状 慶応二年十二月四日 坂本乙女あて サカモトリョウマカンケイショジョウ ケイオウニネンジュウニガツヨッカ サカモトオトメアテ

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歴史資料 

縦:25.0cm 横:169.1cm
1通
重要文化財

慶応二年十二月四日に土佐の姉乙女宛に出したその年一年の出来事を知らせる手紙。寺田屋での遭難から鹿児島への新婚旅行の様子、第二次幕長戦争、西郷吉之助のことなど多岐にわたる内容。特に霧島山登山の様子を絵入りで紹介している部分が有名である。坂本龍馬の手紙でももっとも知られているものである。 (追記)霧島山登山図を含む龍馬の手紙を代表する一通。慶応二年の総決算の意味で激動の一年を振り返ったもの。妻おりょうの身上を紹介し、姉に理解を求めている。一月二十四日未明、伏見寺田屋で幕吏の襲撃を受けて負傷した龍馬だが(おりょうの機転で助かった)、その養生もかねて西郷吉之助の勧めもあり大隅の霧島山麓の温泉で湯治を行った様子が描写されている。二人で温泉につかり、谷川で魚釣りをし、ピストルで鳥を撃つなど楽しげである。さらに三月末には天孫降臨神話をもつ高千穂峰に二人で登った様子をイラスト入りで詳細に記している。火山噴出物に覆われた険しい登山道であり「やけつちさらさら、すこしなきそうになる」などと書いている。その写生的な記述には近代性が感じられる。 この慶応二年の鹿児島行きは忙しかった脱藩後の龍馬の行動のなかの束の間の休息時間だった。手紙の後半には長州で戦争をしたことを記し、さらに西郷吉之助を「おおいに心のよい人」だと評している。この十二月四日にはもう一通家族一同あての長い手紙(写本)を書いているが、この日は父坂本八平の命日であり、日付には家族にだけ分かる意味が隠されていたようだ。長崎の小曾根英四郎宅で書いたもの。この手紙に描かれた「天逆鉾の図」が木下逸雲の「霧島山に登るの記」に似ていることも興味深い。何らかの関連を考えても良さそうだ。(2016年 坂本龍馬展図録 宮川)

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