坂本龍馬関係書状 慶応二年二月二十二日 木戸孝允より龍馬あて サカモトリョウマカンケイショジョウ ケイオウニネンニガツハツカ キドタカヨシヨリリョウマアテ

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歴史資料 

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重要文化財

慶応二年一月に京都で成立した薩長盟約だが、慎重な桂小五郎は龍馬に裏書を求めた。本書状(写真上段)はその朱書裏書を受け取った礼状であるとともに、伏見寺田屋で襲われたことを聞いての見舞状である。桂は龍馬を評して「大兄(龍馬)は公明で寛大なのは良いのだが、用心するところが全く無い」と記し、くれぐれも用心するように忠告している。桂から見れば龍馬の不用心さが心配でならなかったようだ。本書状は慶応二年の十二月に故郷の兄権平あての手紙に添えて土佐へ送ったものである。有名人桂小五郎との交友を実家の家族に自慢するために送ったらしい。 (追記) 長州の桂小五郎が龍馬に宛てた礼状で見舞状。龍馬は慶応二年十二月四日の家族一同あての手紙(写しが現存)の中で桂小五郎の手紙を同封したことを記している。長州藩を指導する高名な桂小五郎と自分が懇意であることを家族に自慢したかったのであろう。この桂の手紙は薩長同盟の内容を記した龍馬宛ての手紙に龍馬が保証の朱書裏書をしたものを受け取った礼状であるとともに伏見寺田屋での龍馬遭難事件の見舞状でもある。桂は龍馬に対して「大兄(龍馬)が伏見で襲われたことをちょっと聞いたときは大変驚きましたが、何とか逃れたということで安堵しました。大兄は公明で寛大なのは良いのですが、あまりに無用心なので心配です。世の中が良くなるまではくれぐれもご用心下さい」などと忠告している。万事慎重な桂から見れば龍馬は自分の命まで無頓着なように見えたのだ。最後の宛先の下の差出人が「木圭」とあるのは「桂」の字を分解したもの。(2016年 坂本龍馬展図録 宮川)

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