坂本龍馬関係書状 慶応元年九月九日 坂本乙女、おやべあて サカモトリョウマカンケイショジョウ ケイオウガンネンクガツココノカ サカモトオトメ、オヤベアテ

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歴史資料 

縦:15.9cm
1通
重要文化財

伏見の寺田屋から土佐の姉乙女とおやべ宛に送った長文の手紙。龍馬の妻となった楢崎龍についてその身の上や性格について知らせている。慶応元年9月には薩摩藩の支援で長崎において亀山社中を結成し、薩長同盟へむけて奔走を続けていた。坂本龍馬の手紙の中でも長いもののひとつ。9月9日は重陽の節句、伏見寺田屋で1日ゆっくり手紙を書いたらしい。 (追記)交際相手のおりょうを家族に紹介する手紙。現在は巻子の上下に平行に貼込まれているが、もとは表裏に文章が書かれたものを二枚に剥いで再構成したもの。剥がさないと巻物に出来ないからである。慶応元年九月九日すなわち重陽の節句に寺田屋で書いたもの。同日に書かれた別の一通も表裏に書かれていた。この表裏を剥がされた手紙をもとに戻してみると龍馬の手紙の書きぶりが復元できる。現在は上段を先に読み、続けて下段を読んでいるが、龍馬は何度か紙の表裏をひっくり返しながら書いたと推定される。  まずは下段の「京のはなし然るに内々なり」から書きはじめ、楢崎龍(おりょう)の人となりを書いている。妹が悪者に騙されて大坂に「女郎」に売られたことを知ったおりょうは刃物を懐に悪者二人と大喧嘩して妹を取り返したのだ。このあけすけな描写がおりょうの人物像を良く伝えている。下段の途中にある「此のあとはまた次に申しあげます」と書いたところで一服したらしい。そのあと巻紙を裏返して別の事を書き始めた。すなわちある女(おりょう)に実家にある小笠原流諸礼本を読ませるため京都まで送ってほしいという内容そして新葉集の写本を送ってほしいとの内容である。そのあとまた裏返して先ほど書いたおりょうの紹介の続きを書く。前半で「あわれなる暮らしなり」とは印象が悪いと思ったようで、続きでは「今はさほど不自由ではありません」などと挽回をはかっている。また姉の乙女に帯か着物を土佐からこのおりょうに贈って欲しいと記し、終わり近くには短冊に亡き父母や祖母、兄権平や乙女の作った和歌を書いて送って欲しいとも書いている。坂本家の家族の形がよく分かる部分だ。それが終わるとさらにもう一度裏返して上段前半の余白に長崎での亀山社中の様子を書き足したのである。現代のわれわれが最初に読む上段冒頭部は実は最後に書かれたものである。このように手紙を何度もひっくり返しながら書いたところに龍馬の精神と行動の自由さが見て取れる。(2016年 坂本龍馬展図録 宮川)

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