慶長大判
けいちょうおおばん
概要
天正10年(1582年)金の産出地であった武田領は徳川家康の所領となり、佐渡金山の開削まで江戸幕府による貨幣鋳造の資源となった。慶長大判の表面は「拾両後藤(花押)」と墨書され、上下左右に丸枠桐紋極印がそれぞれ一箇所、計四箇所打たれている。大判は本来、贈答・献上・公納など特権身分の公私儀礼用あるいは、大規模な取引の支払いにあてるために特製された楕円形の板金。これは正規貨幣であり、そのまま市中で通用するものであったが、通常は小判など小額貨幣に両替された。
けいちょうおおばん
天正10年(1582年)金の産出地であった武田領は徳川家康の所領となり、佐渡金山の開削まで江戸幕府による貨幣鋳造の資源となった。慶長大判の表面は「拾両後藤(花押)」と墨書され、上下左右に丸枠桐紋極印がそれぞれ一箇所、計四箇所打たれている。大判は本来、贈答・献上・公納など特権身分の公私儀礼用あるいは、大規模な取引の支払いにあてるために特製された楕円形の板金。これは正規貨幣であり、そのまま市中で通用するものであったが、通常は小判など小額貨幣に両替された。
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