赤い帽子の少女

絵画  油彩画 / 昭和以降 / 日本 

前田寛治 (1896-1930)
まえたかんじ
1928(昭和3)年
油彩・キャンバス
116.7×90.9
額装

 《赤い帽子の少女》は、最初の瞥では未完の感がし、重い色調と筆触の粗さが、少女という主題が潜在的にもつ詩情性を押し流しているようにみえる。親近感を寄せることを拒むような、ちょっと通好みというか。おそらくそれは、画面が予想以上に画家の理知的な精神によって考えぬかれ、構築されているからで、その知的なものが絵具のかたまりとなって、われわれの前に立ちはだかる。
 画面を構築するという、西洋的な絵画のつくり方を前田はパリ留学中に習得した。アングル、クーベ、マネを研究し、ヨーロッパ絵画の真髄に触れた前田が追求しようとしたのは「写実」の絵画である。その造形理論は、一、(説明的な描写でなく、触感をとらえることで物の)質感を得ること、二、(透視図法だけにたよることなく)量感を得ること、三、(一と二を満たして全体の統一感を得た)実在感を表すこと。
 前田が画家として本格的にしごとをした期間はとてもみじかく、1925年に2年半のパリ留学を終えて帰国してから、1930年に33歳で没するまでの、5年にも満たないわずかなときである。しかしその間前田は、精力的に「写実」の絵画のために実験的な制作をくりかえし、多くの秀作を残した。本作は、それがクライマックスに達したと思われる1928年に、描かれている。
 前田は、赤いワンピースにつつまれた少女の体躯を全体としてとらえ、体の凹凸や服の皺などのこまかな表現を省略し、大きな一つの固まりとしている。赤い絵具の広がりは、まず最初に絵具そのものであり、そして服の質感となり、また体の量感となる。背景にもみられる塗りの試行錯誤の中でたどりついたこうした絵具の使い方は、前田にとって明暗法を超えた、新しい色彩の使い方の出発となるものだったのだろうか。前田の「写実」の親展開をつなげるこの色彩は、日本の洋画の独自性をしめす可能性を充分に秘め、だから前田の早すぎる死がいっそうくやまれる。(桑名麻理)

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