前原一誠書簡
まえばらいっせいしょかん
概要
前原一誠が師の吉田松陰に送った書簡。この当時、前原は佐世八十郎と称していた。安政5年(1858)、松陰は幕府の日米条約無勅許調印に憤慨し、老中暗殺を計画する。一方、周布政之助ら藩政府はそれを封ずるため、同年12月5日、松陰の再投獄を決定した。このため、前原・吉田稔麿・入江九一ら8人の塾生が周布らの邸宅に抗議に押しかけたが、6日、全員謹慎に処された。前原はこの書簡で松陰に対し、久坂玄瑞から不尽力を責められたことに対し、「実に面目なく汗顔の至りに候えども、時宜を得、一死をもって答え申し候」と述べる。