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妙顕寺文書(千六百五十六通)

みょうけんじもんじょ

概要

妙顕寺文書(千六百五十六通)

みょうけんじもんじょ

その他 / 鎌倉 / 南北朝 / 室町 / 安土・桃山 / 江戸 / 近畿

鎌倉~江戸

60巻、74幅、1294通

重文指定年月日:19920622
国宝指定年月日:
登録年月日:

妙顕寺

国宝・重要文化財(美術品)

 妙顕寺は日蓮の遺命をうけた日像が、元亨元年(一三二一)後醍醐天皇の綸旨を得て、今小路に創建した京都最初の日蓮宗寺院である。二世妙実の時に四条櫛笥に移り、公武への接近を通じて教線を伸張し、叡山による焼打ちなどを経ながらも、明徳四年(一三九三)には三条坊門堀川に妙本寺として再興された。さらに永正十六年(一五一九)日芳が寺名を旧名に復した十五、六世紀にかけては、洛中二十一箇本山組織の中心として町衆に浸透し、その繁栄期を迎えるが、天文法華の乱によって敗退し、堺に遁れることとなった。その後、天正十二年(一五八四)秀吉の命により現在地へ移り、京都十六本山会合組織の本山(一致派)筆頭として近代を迎えている。
 本文書は、こうした妙顕寺と周辺の法華宗の歴史を伝えたもので、伝来の上から近世前期の整理を経て宝蔵に納められた「宝蔵文書」と、通常の寺務運営に用いられた「常用函文書」に大別される。
 このうち「宝蔵文書」四百十三通は、以下の三グループに分けられる。その中心を占める(一)宗門関係の文書では、日像の師にあたる日朗、日輪等との往復書簡、日像の譲状・置文や歴代住持の譲状・書状類がまとまっていて価値が高く、これらのなかには十四世紀に遡る日蓮宗規式としても注目される暦応四年(一三四一)日像妙顕寺禁制などが含まれている。また(二)後醍醐以下歴代天皇綸旨以下の公家文書や、(三)足利尊氏御教書以下の室町幕府をはじめ織田・豊臣・徳川氏等の武家文書のグループのなかでは、祈祷命令文書がその中心を占めて注目される。
 「常用函文書」千二百四十三通は、すべて近世文書で、幕藩体制下における紫衣勅許、朱印状、継目入院御礼参府など、対幕府、朝廷関係の文書がまとまっている。これらのなかには元禄五年(一六九二)の西国末寺の由緒書上などの貴重な文書も多く、近世の京都、西国を中心とする日蓮宗教団研究上に不可欠の史料となっている。

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