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木造蔵王権現立像(安禅寺旧本尊)

概要

木造蔵王権現立像(安禅寺旧本尊)

彫刻 / 鎌倉 / 近畿

鎌倉

1躯

重文指定年月日:19860606
国宝指定年月日:
登録年月日:

金峯山寺

国宝・重要文化財(美術品)

 蔵王堂内の東北隅に安置される客仏である。像内の明治二十五年の修理銘札から、明治維新後に廃絶した、現在金峯神社のある愛染と呼ばれる地にあった安禅寺の本尊であったことが知られる。安禅寺は山下蔵王堂から、南東約六キロ、大峰山上に向かう途中に位置し、山下金峯山寺の奥院的性格をもち、早くから金峯山の一中心として栄えていた。元弘の乱(一三三一-三)に際し、護良親王が愛染宝塔を中心に城を構えたことは、よく知られている。寛文五年(一六六五)の伽藍記に、奥院蔵王堂、一重栃葺、とあり、また天保九年(一八三八)の参詣記に、奥の院本堂本尊蔵王権現とあって(『大和巡日記』)、これが本像を指すものとみられる。
 像は蔵王権現としてほぼ通行の形をとるが、両足を大きく広げて安定感をはかり、風に翻るような短かめの裳をつけて颯爽と立つ姿は、平安、鎌倉時代に遺例の多い蔵王権現像の中でも、傑出したできばえを示す。胴躰や腕は、動きの激しい深い衣文とのバランスを考慮してか、おだやかな肉付けによってゆったりと造られ、そこにも作者の優れた造形力が感じられる。蔵王権現の基準作例は乏しいが、同じ忿怒形像である宝治元年(一二四七)西大寺愛染明王像、正元元年(一二五九)白毫寺太山王像等と比べると、本像の大まかな面部の肉取りには、やや形式化した点が認められる。しかし、延文三、四年(一三三八)頃の康成作金峯山寺二王像、文和四年(一三五五)寛慶作法隆寺上堂四天王像など、南北朝期の、装飾過多で下半身が鈍重な作風とは一線を画するものがあり、製作年代は鎌倉時代後半から末頃とみることができよう。
 松材、寄木造、素地仕上げ、玉眼。頭部は大略前後二材矧、挿首。躰部は正面、背面を各左右二材矧とし、前後の材の間に左右各二材のマチ材を挿み、その表面に薄材をあてて両躰側部を作る。左足一材製、裳裾から像内を貫いて右肩にいたり、像を支持する。両腕は、上膊、前膊とも前後二材矧。右大腿部は前後二材矧。その他、両足首、裳翻転部などを矧ぐ。玉眼、及び光背、右足下の支持棒等は後補である。

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