神野御茶屋図
こうのおちゃやず
概要
神野御茶屋は、弘化3年(1846)に10代佐賀藩主鍋島直正が造営した別邸。現存する神野御茶屋の絵図としては最も古く、おそらく造営計画図と思われる。付箋に「但、巾壱間半にして外廻り凡四百間」とある。このことから、四周を囲う木柵の外側には、東門周辺のみに描かれているような土手と外堀が幅一間半、外周四百間の規模でめぐっていることが分かり、「方百間」と言われる御茶屋の広大な敷地規模をイメージできる。泉水には西と東に渡場があり、東渡場には舟入が付属する。泉水周辺を中心に、各所に方角や間尺数を記した付箋が貼られ、橋には板橋・土橋の区別を墨書し、田や畠、射場などの墨書が散見される他は、無限青山亭と茶雨庵の間取りを入念に表している。