黄釉銹絵梅樹文大瓶〈宮川香山作/〉
おうゆうさびえばいじゅもんたいへい みやがわこうざんさく
概要
黄釉銹絵梅樹文大瓶〈宮川香山作/〉
おうゆうさびえばいじゅもんたいへい みやがわこうざんさく
東京都
明治/1893
素地は白磁質で、底面周縁を除いて全面に透明釉を掛ける。器形は胴にゆったりとした膨らみをもたせ、胴裾に向かって緩やかにすぼまる大型瓶である。肩から口頸部に向かってしだいにすぼまり、口辺がラッパ状に外に開く。底は碁笥【ごけ】底状に削り込む。
文様は、器表全体に梅樹を表す。梅樹は胴裾から太い幹を屈曲させて立ち上がり全面に展開し、蕾や花をつけた枝を描く。梅樹は濃淡を交えた銹絵で描き、梅花は白く抜いて素地のままとして白梅とする。地には全面に釉下彩による黄釉を施す。
高52.1 口径14.5 胴径25.8 底径10.7(㎝)
1口
東京国立博物館 東京都台東区上野公園13-9
重文指定年月日:20040608
国宝指定年月日:
登録年月日:
独立行政法人国立文化財機構
国宝・重要文化財(美術品)
明治時代全期間を通じて著名な陶芸家として国内外で評価されている宮川香山(一八四二~一九一六)の作品である。
本作品に用いられた釉下彩は、顔料で図様や文様を施して高火度で絵付し、その上に透明釉を掛けて焼成する技法で、多彩な色使いや微妙なグラデーションを表現することが可能となった。釉下彩の開発は一八八〇年代にフランスのセーブル窯やデンマークのロイヤル・コペンハーゲン窯などの西欧において進められたが、日本ではドイツ人化学者ゴットフリート・ワグネル(一八三〇~九二)が明治十八年ころに完成した吾妻焼(旭焼)(東京・小石川江戸川町)が最初の例として知られる。なお、宮川香山の釉下彩が初めて公開されたのは明治二十二年の日本美術協会主催の展覧会における「真葛焼蘭画平壺」「真葛焼山水画花瓶」であった。
本大瓶は、中国清朝磁器の器形に範をとった玉壺春【ぎょっこしゅん】形と呼ばれる花瓶で、破綻なく均整がとれた大型の器形に合わせ、器面全体に展開する梅樹が銹絵の濃淡で見事に描かれ、釉下彩の黄釉も斑なく均一に掛かる。柔らかい早春の穏やかな日差しを感じさせる黄色地に、渋い銹絵の梅樹がほど良い対照をなし、器形と文様が渾然一体に見事に調和した姿を見ることができる作品である。
本品は、宮川香山が美術部で受賞した明治二十六年の米国シカゴ・コロンブス世界博覧会に出品された作品で、さらに宮川香山の磁器作品を最も代表する優品である。また、同博覧会に宮川香山により出品された作品の中で、現在唯一その存在が確認される貴重な作品である。