明和八年銘石造狛犬
めいわはちねんめいせきぞうこまいぬ
概要
明和八年銘石造狛犬
めいわはちねんめいせきぞうこまいぬ
東京都
江戸時代中期/江戸時代中期
この狛犬は、安山岩で造られ、阿形像・吽形像とも顔の表情の他はほとんど同じ寸法で造られているものの、僅かに吽形像の顔幅と体躯幅が大きめである。両像とも高さ4.0㎝、幅22.0㎝、奥行40.5㎝の台座を伴い、この台座の部分は狛犬の部分と同石一体となっており、台石上段の上部に作られた溝に嵌め込まれている。この様式は、同じ明和八年銘のある上高井戸天神社の狛犬、享和元年(1801)銘の堀ノ内熊野神社の狛犬と同様式である。
また、この狛犬は、両像が向かい合った対向式で、区内最古例の延宝7年(1679)銘のある荻窪八幡神社の狛犬と同様式である。一方、高井戸天神社の狛犬は顔を外に向けた対侍式である。例外はあるが、一般的に対向式の方に古い作例が多い。
台石は3段から成り、阿形像・吽形像とも上段表面には「奉獻(献)」と大きく彫り、裏面年月日と願主名も大きく彫られている。なお、阿形像の台石中断の裏面には、移建にあたって増設された旨が記されており、阿・吽両像とも台石中段が近年増設されたことを示している。
両像とも前肢を突っ張るように立て、体躯を後ろに引いた緊張感のある姿勢をしており、上高井戸天神社の狛犬に比して少し立ちが高いように見受けられる。また、体躯もやや豊かである。頭部の流毛・巻毛共に大きめで、尾部背面にも巻毛が見られ、その上部は5本に分かれている。このように、やや装飾性が進んでいるが、表現が穏和に纏められている。
これを江戸時代後期の狛犬像と比べると、後期のものは技巧性が進み、体形、体毛ともに強い装飾性が見られ、唐獅子と呼ばれるにふさわしいのに対し、この狛犬像は古式を伝えているといえよう。
阿形(向かって右)
全高 144.8㎝
高さ(台座含む) 53.0㎝
幅頭部 13.0㎝
体部 21.5㎝
奥行頭部 26.0㎝
体部 40.5㎝
台石 上段 中段 下段
高さ 46.3㎝ 38.5㎝ 7.0㎝
幅 37.4㎝ 45.2㎝ 59.0㎝
奥行き 60.7㎝ 67.5㎝ 75.0㎝
吽形(向かって左)
全高 145.5㎝
高さ(台座含む) 52.0㎝
幅頭部 14.0㎝
体部 22.7㎝
奥行頭部 26.0㎝
体部 39.5㎝
台石 上段 中段 下段
高さ 46.0㎝ 38.5㎝ 9.0㎝
幅 37.5㎝ 45.2㎝ 58.9㎝
奥行き 60.5㎝ 67.1㎝ 75.0㎝
1対
東京都杉並区大宮2-3-1 大宮八幡宮境内
杉並区指定
指定年月日:20130213
宗教法人大宮八幡宮(代表役員 鎌田紀彦)
有形文化財(美術工芸品)
この狛犬1対は、もとは本殿前に安置されていたが、社殿の改修工事に伴い、昭和40年(1965)に本殿南側の境内末社(現若宮八幡神社・白幡宮・御嶽榛名神社合殿)前に移された。
大宮八幡宮は、江戸時代に除地6万坪、社領御朱印地30石の当地域における大社であり、優れた狛犬が建造されるのにふさわしい神社であり、別当大宮寺及び社家中野左近の活躍を示すものであろう。
願主岩崎氏については、堀ノ内1丁目における共同墓地内に、「馬橋四谷 岩崎所左衛門」の銘のある宝暦五年(1755)の六地蔵が所在しており、文政元年(1818)の和田村絵図(松島家文書:区指定文化財)にも馬橋谷戸において「所左衛門」の名がある。また、大宮八幡宮所蔵の明和三年(1766)銘木造隋身坐像体内銘板(区指定文化財)には「組頭岩崎金左右衛門」の名があり、この体内銘板に記される年寄・組頭12名のうち、先の和田村絵図において8名の名を確認できる。以上のことから、願主岩崎氏は、和田村の村民であった可能性が伺えよう。なお、前述のような大宮八幡宮の社格を考えると武士身分による奉納も考えられるが、『寛政重修諸家譜』(江戸幕府が編集した大名と幕臣の系譜の書)には、岩崎姓はみえない。ただし、幕末の本草学者である岩崎灌園の出自は幕府御徒士とあるので、その関連も考えられる。