木造六観音立像 もくぞうろくかんのんりゅうぞう

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木像 / 江戸 / 東北 

不詳
岩手県
江戸時代前期/17世紀後半
各像ともカツラ材、一木造、彫眼、素地仕上げ。頭髪部墨色、足先別材。
1号像:聖観音立像 像高108㎝
2号像:千手観音立像 像高108㎝
3号像:馬頭観音立像 像高107.5㎝
4号像:十一面観音立像 像高108㎝
5号像:准胝観音立像 像高108.5㎝
6号像:如…
6体
岩手県岩手郡葛巻町
岩手県指定
指定年月日:20110510
有形文化財(美術工芸品)

平船藤岡家は、藤原秀郷の末裔で、下野国都賀郡藤岡(栃木県下都賀郡藤岡町)の藤岡城に拠り、南北朝時代に護良親王の軍馬調達の任に当たり、4人の供とともに平船に時機を待ったが、新田、楠木の敗死により機会を失して居残ったと伝え、実際に当地に入ったのは室町中期頃か、という(平船藤岡家系譜)。
同家の連名位牌には、
  「六世 権大僧都前明後院知教法印」
  「七世 権大僧都前浄正院永清法印」が見え、
 下記貞享1年(1684)棟札には
  「修験宗役之末流 真龍山平船寺 別當 浄正院 」、
同じく享保4年(1719)棟札には
  「修験宗役之末流代々 真龍山平船寺 別當 浄寿院 」
とあることから、江戸前期から中期にかけて、藤岡家の当主は修験だったことが知られる。
 「浄寿院 」は唯一残る単独の位牌に「操樹院安永大休居士」(寛保2年、1742年歿)とあり、連名位牌にも同様に「八世 操樹院安永大休居士」と権大僧都や法印も記されていないことから、八世浄寿院(操樹院)の代に修験を断念したものとみられる。
 なお、藤岡家当主はその後も俗名のまま「真龍山平船寺別當」と棟札に記されており、「平船」の屋号を持ち平船集落の「ダナサマ」である藤岡家は「平船寺別當」の地位にあり続けていた。 
真龍山平船寺は明治維新の時、廃仏毀釈らよって真山神社となり明治18年(1885年)小田に移転し現在に至っているが、平船寺から移したという役行者(えんのぎようじや)像が祀られている。
 六観音は、『観音経』(妙法蓮華経第二十五観世音菩薩普門品)に説かれる「三十三変身説」に拠って派生した多種多様な観音菩薩の中から、代表的な6種を選び、衆生が…

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