太刀
銘 勢州桑名郡益田庄藤原朝臣村正作 天文十二年五月
附 四弁花繋文錦包糸巻太刀拵 二本
たち めい せいしゅうくわなぐんますだのしょうふじわらのあそんむらまささく てんぶんじゅうにねんごがつ
つけたり しべんかつなぎもんにしきつつみいとまきたちこしらえ
概要
銘文に見える村正は伊勢国桑名の刀工(とうこう)で、江戸時代前期に成立した『如手引抄(にょてびきしょう)』では美濃国赤坂の刀工兼村の子とする。この2口の太刀は、刀身全体に錆(さび)止めの漆が塗られている。そのため、地金(じがね)や刃文(はもん)は不明だが、年号と刀工の居住地が記されており、村正の基準作例と位置づけられる。戦国時代の桑名における刀工の存在を実証する資料である。また、2口の太刀が奉納刀として同時に制作されたことが分かり、文化史的意味においても重要である。
附の拵はいずれも同意匠で、木製の柄および鞘を、梅花状の四弁花を連続させた錦で包む。鍔は輪宝形とし、石突・責金・足金物・兜金などの錺金具には鍍金が施され、足金物には春日神社の社紋である「下り藤」が表される。金具の形状や技法から見て、本太刀の装具として、江戸時代後期に制作されたと考えられる。