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武雄鍋島家文書

たけおなべしまけもんじょ

概要

武雄鍋島家文書

たけおなべしまけもんじょ

文書・書籍 / 佐賀県

中世

総高31.4cm

62通

佐賀県武雄市武雄町大字武雄5304-1 武雄市図書館・歴史資料館

武雄市

武雄市重要文化財

 武雄鍋島家は、20代までは後藤を名乗っており、前九年の役(1051~62)で戦功のあった後藤章明が、塚崎荘の地頭となったのが始まりとされる。その後、時代を追うごとに勢力を広げ、戦国時代には杵島郡内の有力豪族に成長した。安土桃山時代の内紛で龍造寺の配下となり、21代からは鍋島姓を名乗り、幕末に至る29代まで武雄の地を領した家柄である。
 武雄鍋島家に残されていた古文書は3千点を超えるが、最も古い正応2年(1289)「蒙古合戦勲功章神埼荘配分状」から慶長年間まで、時代別では鎌倉時代1通、南北朝時代12通、室町時代4通、安土桃山時代45通の中世文書として分類された合計62通が市の文化財に指定されている。
 この中には「豊臣秀吉塚崎温泉掟書」という天正20年(文禄元年=1592)に出された秀吉の朱印状がある。秀吉の命により鎮西町名護屋に駐屯した10万余の軍勢は、朝鮮出兵の戦陣の疲れをいやすために、多くの将兵が塚崎の温泉に訪れ、地元の人々に迷惑をかけることもあったという。このため、3か条の掟を出して彼らを取り締まったものである。

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キーワード

武雄 / 鍋島 / 佐賀 / 領主

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