繋馬図絵馬
つなぎうまずえま
概要
天満神社の由緒は次のとおりである。延喜元年(901)、菅原 道真が失脚したときに四男はそれぞれ別々の国へ配流された。 三男景茂(乙千代丸)が当地へ流され、菅原道真の神像を彫 刻し、祀ったが、延長元年(923)に没した。その後、家臣らが天暦7年(953)に草堂を天神山に建立し、神像を祀って 御館天満宮とし、立待村7区の総社として崇めた。その後、南北朝期の脇屋義助、戦国期の朝倉義景、織田信長らの崇敬 も厚く、江戸時代においては吉江藩主松平(まつだいら)昌(まさ)親(ちか)の祈願所となった。