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桐唐草格子文様片身替小袖

きりからくさこうしもんようかたみがわりこそで

概要

桐唐草格子文様片身替小袖

きりからくさこうしもんようかたみがわりこそで

染織 / 安土・桃山 / 近畿 / 兵庫県

不明

兵庫県

桃山/不明

本品は、左右で文様や配色を違えた片身替(四つ替)の意匠を特色とする桃山時代の小袖である。上前と背面の右身頃には萌黄と白の段に桐唐草文をあらわし、いっぽう下前と背面の左身頃には紅地の格子文をあらわす。文様は綾織(経緯とも六枚綾組織)により、桐唐草文は斜め上向きと斜め下向きの五七桐を交互に織り出し、格子文は紅地に白、萌葱、薄紅を織り入れ、さらに格子の交点には地緯の浮織で幸菱文をあらわす。現状では、左袖以外は本来の表面を裏返して仕立て直されている。また、裏地も欠失しており、当初の状態を伝えるものではないが、400年余りを経た染織品としては保存状態もよく、意匠や文様、形状などに桃山時代の小袖の特色を伝えている。

身丈129.0㎝ 裄〔左〕64.0cm 〔右〕63.2cm
袖丈 〔左〕43.6cm 〔右〕49.3cm

1領

兵庫県三木市府内町6番43号

兵庫県指定
指定年月日:20170314

宗教法人 本長寺

有形文化財(美術工芸品)

本長寺所蔵の「賀古氏系図」によれば、羽柴秀吉が三木城主別所長治を攻めた三木合戦(天正6~8年〈1578~1580〉)の後、秀吉は長治に忠義を尽くした家臣の加古弥七郎秀久に感賞し、自ら母衣を秀久に下賜するとともに大西の姓を授けたと伝える。秀久は三木城落城後に仏門に入り、入道承慶と号して本長寺を創建した。また、『兵庫県美囊郡誌』(大正15年)においては、母衣ではなく、秀吉より下賜された陣羽織が大西家に伝来したという。このような記録から本小袖は、母衣や陣羽織に比定しうるものと考えられる。また、小袖を納めた桐紋唐松散らし蒔絵箱は、その形状から見て小袖を収納するために製作されたものではないが、高台寺蒔絵と呼ばれる蒔絵様式を示す桃山時代の箱であり、小袖とともに賜った可能性がある。羽柴秀吉下賜の伝来をもつ桃山時代の遺例として貴重である。

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キーワード

小袖 / / 片身 / 桃山

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