七絶詩屏風
しちぜつしびょうぶ
概要
貫名菘翁は儒者で、詩や書や画にもすぐれていた。この屏風は天保6年(1835)、海屋(かいおく)と名乗っていた58歳の作である。款記(かんき)から、同年の冬、以前に作った詩から12篇を選び、上田氏のために揮毫したものと分かる。(20050621_h082)(120508_h082)
しちぜつしびょうぶ
貫名菘翁は儒者で、詩や書や画にもすぐれていた。この屏風は天保6年(1835)、海屋(かいおく)と名乗っていた58歳の作である。款記(かんき)から、同年の冬、以前に作った詩から12篇を選び、上田氏のために揮毫したものと分かる。(20050621_h082)(120508_h082)
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