山水図屛風
概要
名古屋に生まれる。7歳にして仏門に入り、江戸や京都で修行の傍ら画技を学ぶ。とくに円山応挙の写生画から影響を受けた。1774(安永3)年、伊勢山田(現・三重県伊勢市)の寂照寺の住職となり、画料をもって、同寺の復興と貧民救済に尽力した。
田能村竹田は、月僊について「多作に因りて漸く精熟を致す」などと評している。たしかに、三重県内にも掛幅装の山水人物を中心に月僊画が多く伝存する。月僊画に対する需要の高さを物語る一方、量産に耐えうる画風変遷のためか、定式化された表現が目立つ。
本作品は、月僊には珍しい屛風装の山水画である。署名の書体や印影から晩年作と推定される[註]。両隻を並べた場合、中央に雲霞が遥か遠くまで広がる構成である。地平線を低く抑え、淡墨を巧みに利用することで、湿った大気が充満した空間が描写されている。筆法には、月僊特有の定式化が見られ、樹木や岩山を三次元的に把握する意識は希薄である。しかし、自然かつ雄大な空間表現は、写生画を学んだ成果といえる。