済急封事
さいきゅうふうじ
概要
天保元年(1830)、鍋島直正の10代佐賀藩主就任に伴い、江戸藩邸で直正の侍講を勤めていた古賀穀堂も直正とともに帰藩した。藩の実状と士風に強い危機感をもった穀堂は、翌年直正に提言書「済急封事」を上呈する。人材登用、勤倹奨励、三病(妬み・優柔不断・負け惜しみ)の除去、学問尊重、産業振興を進言し、直正が進めてゆく藩政改革の思想的支柱となった。
さいきゅうふうじ
天保元年(1830)、鍋島直正の10代佐賀藩主就任に伴い、江戸藩邸で直正の侍講を勤めていた古賀穀堂も直正とともに帰藩した。藩の実状と士風に強い危機感をもった穀堂は、翌年直正に提言書「済急封事」を上呈する。人材登用、勤倹奨励、三病(妬み・優柔不断・負け惜しみ)の除去、学問尊重、産業振興を進言し、直正が進めてゆく藩政改革の思想的支柱となった。
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