達磨図 自画賛
だるまず じがさん
概要
達磨図 自画賛
だるまず じがさん
妙法院宮 尭然法親王 (1602-1661)
みょうほういんのみや ぎょうねんほっしんのう
日本
江戸時代前期/17世紀
紙本墨書
31.1×44.5cm
広島県廿日市市大野亀ヶ岡10701
海の見える杜美術館
後水尾天皇の皇弟の自画達磨像に賛として和歌を散らし書きにされている。歌は拾遺和歌集の最末に収められ、聖徳太子が片岡山に伏していた餓人に御衣をかけ、
しなてるや 片岡山に 飯に餓て 臥せるその旅人あはれ 親無しに 汝生りけめや さす竹の 君はや無き 飯に餓て 臥せる その旅人あはれ
と宣い給うたのに対する餓人の返歌である。
飢え人は翌日亡くなり、手厚く葬ると棺の中から遺体が消えて、ただ太子の衣裳だけが残っていた。なお、それは達磨大師の化身だったに違いないと元亨釈書(鎌倉時代の仏教通史)に伝わり、この片岡の地に今も達磨寺がある。
御父後陽成天皇宸翰で、本図と同じ達磨像と御賛の作品が京都慈照院に伝わっている。
(『名筆へのいざない―深遠なる書の世界―』海の見える杜美術館2012 解説より)