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ジュゼッペ・キアラ神父墓碑

じゅぜっぺ・きあらしんぷぼひ

概要

ジュゼッペ・キアラ神父墓碑

じゅぜっぺ・きあらしんぷぼひ

その他 / 江戸 / 関東 / 東京都

不明

東京都

江戸前期/1685

いわゆる伊豆石と呼ばれる安山岩製で、笠・塔身・基台・水鉢の各部材から構成される。笠は平面円形を呈し、中央部が大きく盛り上がる。側面形は帽子状を呈し、司祭帽を思わせる。笠底面には塔身欠首に載せるためのほぞ穴が彫り込まれる。塔身は、正側面形が長方形、横断面が正方形を呈する。塔身上部には欠首が成形される。塔身正面には、戒名と没年月日が刻まれる。基台は上面部が正方形を呈し、上面端部から側面にかけて八弁の反花(蓮花)が陽刻される。水鉢は上面部が長方形、正面形は逆台形を呈する。上面内側が大きく刳り貫かれ、正面には蓮葉と蓮蕾が陽刻される。

総高160.7㎝、塔身高106.5㎝、塔身幅37.9㎝、笠高28.8㎝、基台高28.2㎝、基台幅61.7㎝、基台奥行56.4㎝、水鉢高20.8㎝、水鉢幅47.8㎝、水鉢奥行22.3㎝。

1基

東京都調布市富士見町3丁目21番地12

調布市指定
指定年月日:20160129

サレジオ神学院

有形文化財(美術工芸品)

イタリア、パレルモ生まれのイエズス会宣教師、ジュゼッペ・キアラ(1602-85)の墓碑で、貞享2年(1685)に立てられた。キアラ神父は、寛永20年(1643)、鎖国禁教政策下の日本に潜入するも捕縛され、江戸小日向の切支丹屋敷に収容された後、拷問に耐え切れず棄教したとされている。その後、キアラ神父は、日本名「岡本三右衛門」と妻を与えられ、宗門改役御用人として拾人扶持の処遇で、切支丹屋敷に43年間幽閉された末に、貞享2年7月25日に病死した。遺体は火葬され、小石川無量院に葬られたが、無量院の焼失により、明治42年(1909)に雑司ヶ谷墓地へ移された。その後、昭和18年(1943)に練馬のサレジオ神学院に移されるが、昭和25年(1950)、同神学院の調布移転に伴い、現在地に移設された。

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