西方寺 木造 阿弥陀如来立像
さいほうじ もくぞう あみだにょらいりゅうぞう
概要
西方寺 木造 阿弥陀如来立像
さいほうじ もくぞう あみだにょらいりゅうぞう
大阪府
平安時代後期(12世紀末)
ヒノキ材一木造。彫眼、体部漆箔、衣部古色。頭体幹部を通して一木から彫出する。
肉髻珠、螺髪。白毫は水晶製。耳朶環状、三道を彫出する。衲衣、偏衫、裙を着け、右手は肘を曲げて掌を胸前に掲げ、掌を前に向けて第1・2指を捻じ、他指を軽く曲げる。左手は垂下して掌を前に向け、第1・2指を捻じ、他指を伸ばす(来迎印)。両足をやや開いて台座上に立つ。
光背は透彫唐草文船形光背、台座は蓮華座。
像高69.5㎝、髪際高63.8㎝、頂‐顎12.8㎝、髪際‐顎7.7㎝、面幅7.0㎝、耳張9.2㎝、面奥10.4㎝、胸厚8.7㎝、腹厚10.0㎝、肘張20.2㎝、裾張14.3㎝、足先開(外) 9.7㎝、足先開(内) 5.2㎝。重量は不明。
1躯
大阪府松原市三宅中5丁目11番16号
松原市指定
指定年月日:20180920
宗教法人 西方寺 代表役員 安岡剛史
有形文化財(美術工芸品)
現在は西方寺(融通念佛宗)の客仏であるが、元は同じ三宅村に所在した仏徳山豊興寺(融通念佛宗)の本尊である。
明治30年(1897)に豊興寺が廃寺となった後、西方寺に移され現在に至る。
豊興寺は、延宝5年(1677『大念佛寺四十五代記録并末寺帳』には開基不明、『大阪府全志』には法明上人の念仏勧進道場が起源とある。