七言絶句「発姑蘇赴杭州舟中」
しちごんぜっく こそをはっしてこうしゅうにおもむくしゅうちゅう
概要
荘田胆斎は会津藩士で名を忠坦と言い、星研堂、巻菱湖に書を学んで藩の右筆となった。維新後は一時新政府に務めたが、明治6年(1873)に清国に渡り、江南の書家と交流を深めた。
清に渡航した胆斎が蘇州から杭州に向かう船の中で詠んだ詩。張継の「楓橋夜泊」をもとにしており、清国人から「寒山寺先生」と賞されたと伝えられる。清国滞在中の詩を集めた『西航漫吟』(明治17年)に収載される。
しちごんぜっく こそをはっしてこうしゅうにおもむくしゅうちゅう
荘田胆斎は会津藩士で名を忠坦と言い、星研堂、巻菱湖に書を学んで藩の右筆となった。維新後は一時新政府に務めたが、明治6年(1873)に清国に渡り、江南の書家と交流を深めた。
清に渡航した胆斎が蘇州から杭州に向かう船の中で詠んだ詩。張継の「楓橋夜泊」をもとにしており、清国人から「寒山寺先生」と賞されたと伝えられる。清国滞在中の詩を集めた『西航漫吟』(明治17年)に収載される。
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