青磁蓮唐草文瓶
せいじはすからくさもんへい
概要
10世紀半ば、中国から製作技術が伝わったことにより、朝鮮半島の高麗国(こうらいこくで誕生した「高麗青磁」(こうらいせいじ)は、その後独自の進化をとげ、12世紀頃には中国の皇帝が手にする中国の最高級の青磁にも肩を並べるまでに至りました。その美しさを宝石の翡翠(ひすい)にたとえて、「翡色(ひしょく)青磁」つまり翡翠色(ひすいいろ)の青磁と呼ばれて称賛され、高麗だけでなく中国や日本へもたらされるなど、各地の人々を魅了していきました。じっさいに中国・北宋時代の末期、1123年に、中国からの使いとして高麗を訪れた徐兢(じょきょう)という人物が、「翡色(ひしょく)青磁」の美しさは、中国で名高い越窯(えつよう)や汝窯(じょよう)の青磁に似ているとの記録を残しています。この作品のように、小さな口に丸くゆるやかに張り出した肩をもつ器(うつわ)を、俗に「梅瓶(めいぴん)」といいます。端正で気品に満ちたたたずまいと、なめらかに溶けた緑色の青磁釉(せいじゆう)が、大きな魅力です。よく見ると、全体を覆うように蓮唐草(はすからくさ)の文様が丁寧に刻まれています。斜めに深く入れたり、細い線で毛彫(けぼ)りのように繊細に刻んだりと、表現力豊かな線刻によって生み出された陰影(いんえい)は、この作品の美しさをいっそう引き立てています。