灰釉双耳壺
かいゆうそうじこ
概要
器の表面に草木の灰類を溶剤とした釉薬が塗布され、身部の双方に耳のような「取っ手」が付いた形状から「灰釉双耳壺」と呼ばれる資料です。
本資料は、木更津市の請西地区の区画整理事業に伴い、1993年度から1997年度にかけて実施した「大畑台遺跡群大畑台遺跡」(現在の請西南地区)の発掘調査で出土したものです。
大畑台遺跡は、旧石器時代に始まり、縄文時代を経て、弥生時代後期から平安時代までの大規模な集落と墓域が広範囲に展開した複合遺跡です。
発掘調査では、8世紀から9世紀にかけて造られた「墓」が31基出土していますが、本資料は、その中の「火葬墓」に埋葬されていた壺で、火葬骨を納めた蔵骨器として使用されていました。
壺に使用された陶土や製作技法の特徴から、9世紀中葉から後半に現在の愛知県名古屋市東部の猿投周辺の窯で焼かれた製品と推定できる資料です。
蓋と身が揃いほぼ完形で出土した状況は「出土遺物」として非常に珍しく、現時点では全国で唯一の例です。
また、仏教信仰にもとづく火葬墓で蔵骨器として使用されていた点に鑑みると、仏教信仰の影響下にあったことが窺い知る事ができ、当時の木更津の地が東京湾を隔てて三浦半島に隣接するという環境にあったために、房総半島の中ではいち早く近畿地方や東海地方からの先進的な文化を受け入れてきたという、当時の木更津の歴史・文化的な性格を位置づける資料ともいえます。
全国的に見ても非常に貴重な出土遺物であるという一面だけではなく、木更津の古代における位置づけと木更津においての請西の位置づけを雄弁に語る資料として極めて重要であることから、有形文化…