月次俳画帖
つきなみはいがちょう
概要
紀伊藩士で俳諧師として著名な松尾塊亭(1732~1815)は、はじめ紀伊藩士で向井去来(1651~1704)の門人でもあった朝倉貫考について俳諧を学んだが破門され、のちに各務支考(1665~1731)の流れをくむ美濃の田中五竹坊に師事し文台(宗匠の地位)を譲られた。俳画をよくし、和歌山で多くの門人を指導した。本図は、1年12か月の景物を俳画で描き、句を添えた画帖で、落款により、文化6年(1809)、塊亭79歳の時に製作されたことがわかる。また、塊亭の自序には、和歌山の医師・小川氏(小川栄得か)の求めに応じて描いたことが記されている。